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2019年9月の3件の記事

2019.09.26

南大沢を歩いてみると 2 その10

今日の写真はこれです。

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大きな石がごろごろとあり、向こうの広場では子供が凧揚げをしています。

 

そして少し角度を変えてみると、こんなです。

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民家の庭先で隣にはビニールハウスがあり、大きなマンションも見え、遠くに丹沢の山々が見えます。

実は、前回は飛鳥時代でしたが、今回はさらにさかのぼり縄文時代後期の田端環状積石遺構と言われる場所です。

そこにはこんな説明版がありました。

(写真をクリックすると少し大きくなります。)

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町田市のホームページでは次のように説明されていました。

1968年、畑を耕作中に偶然発見された、縄文時代後期から晩期(約3500年から2800年前)の墓地・祭祀場です。30基の墓からなる集団墓地が形成された後、その上に9×7メートルの環状積石遺構(ストーンサークル)が作られました。現在は実物を埋め戻して保存し、その上にレプリカで遺構を復元しています。
京王相模原線多摩境駅から徒歩5分、日本で最も駅から近く、また都内では唯一見学できる縄文時代のストーンサークルです。
この遺跡からは、境川対岸の相模原台地、そのはるか後方の丹沢山地や富士山も見渡すことができ、また冬至の日没時には丹沢山地の蛭ヶ岳山頂部に太陽が沈む様子が見られます。

 

偶然発見とは、畑の大根がみな曲がってしまうので掘ってみたら大きな石がごろごろ出てきたと、何かに書いてあったが、本当かな?

 

多摩境駅から多摩ニュータウン通りに出て、町田街道の方へ下って行くと右側にこんな案内板があります。

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大きなものではありませんが、天気の良い丹沢の見える日に行ってみるのも楽しいですよ。

 

 

 

 

2019.09.19

南大沢を歩いてみると 2 その9

今日の写真はこれです。

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前回の記事では、多摩ニュータウンができる前の写真も載せたのですが、この地域でははるか以前から人は住んでいたし、地域の重要な通行路として、絹の道や鮎の道、そして横山の道、鎌倉街道などが残っています。

この写真は、さらに古く7世紀中頃(飛鳥時代、古墳時代後期)の横穴墓を改築したレプリカです。

場所は多摩境駅から西へ行った三ツ目山公園にあり、この近くで発見されたNo.313遺跡1号横穴墓の石を使用したものだそうです。

多摩ニュータウン開発等で発見された遺跡はこのように番号が付けられて膨大な資料や発掘品は、東京都埋蔵物文化財センター(多摩センター駅近く)に保存されています。

この東京都埋蔵物文化財センターには、今年展示品の説明会の時に何年かぶりに行った。

たまに行くと面白いですね。

30年ほど前に引っ越してきた時には、まだ遺跡発掘を尾根緑道のあたりではやっていて、土器のかけらを拾ったこともある。

 

詳細が、ここにあった説明版に書かれてありました。(写真をクリックすると大きくなります。)

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もう少し引いた写真ですが、かなり大きなものです。

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小山が丘小学校の隣にある、この三つ目山公園も大きく、橋本方面の見晴らしも良く丹沢の山々が望めます。

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横穴墓はこの写真の左方向にあります。

遊歩道も整備されているので、近くのMrMaxに行った時などにゆっくりと歩いてみるのもいいですね。

 

 

 

2019.09.07

南大沢を歩いてみると 2 その8

最近このブログを見るようになった方もいるので、お知らせです。

このブログ「南大沢季節便り」のほかに「南大沢昆虫便り」というブログもあり、またその上に「南大沢の自然」というホームページで展覧会案内等も載せております。

どちらも頻繁に更新しているわけではないのですが、それらもよろしくお願いいたします。

 

 

今日の写真はこれです。

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前回の記事の小林さんではないですが、この写真で2時間は話せますね!!

 

これは、別所にあるせせらぎ橋という歩道橋です。

さて、この写真は何を言いたくて撮ったものでしょうか?

 

思ったように撮れなくて何日も通って撮ったものですが、これでも全然満足出来ないものです。

 

一目で「何これ!!」と思われる写真を狙ったのですが、難しい。

 

本当は、もう少し上から下の道路をもっとはっきりと入れたかったのでドローンで撮りたいところでしたが、大きな三脚を一番伸ばしてエレベーターも伸ばしてそれを手で高く持ち上げて、レンズも一番ワイドのもので撮影したものです。

 

実は、下を通っている道路からではただの歩道橋にしか見えないのですが、このように水路があり、道路の上を通る川が流れている歩道橋なのです。

道路の上を川が流れてわたっていくというのはなかなか他ではないですね。

 

 

これは、長池公園から流れ出たせせらぎで、長池公園の保全ゾーン内の長池を水源として築池に流れ、そこから姿池で長池見附橋をくぐり、せせらぎ緑道となって1kmほどニュータウンの住宅街を抜けてこのせせらぎ橋となり、更に京王堀之内駅近くまで流れているのです。

 

長池は浄瑠璃姫の伝説があるという古い池。

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そこから小川が流れだし、大きな築池になる。

昔は農業用のため池だった。

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そして斜面を下って、ニュータウンの工事で造られた姿池に流れ、長池見附橋の下を通る。

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更にせせらぎ緑道となり、両側にマンションや住宅があるとは思えない流れを下る。

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そして、一番最初の写真のせせらぎ橋になる。

 

築池は、大雨の時の一時的な貯水の役割もある。

それでも今日のようなゲリラ豪雨で、全ての水がこのせせらぎに流れたら大変な水害になるので、その時は地下排水溝に流す。

ということは、せせらぎなどなくても水路としては困らない。

ところがニュータウン開発の頃、昔大栗川まで小川が流れてように何とか流れを残したいと公団で尽力した人がいて出来た、と何かで読んだことがある。

しかし、今回調べてもどうしてもどこで読んだのかわからなかった。

開発以前の小川は大きく違うでしょうが、それでもこのせせらぎを残したことで、貴重な動植物のすみかになっているようだ。

 

このニュータウン開発時の写真の、中央の蛇行している場所がせせらぎ緑道になる。

見附橋は移築されて数年、造成地はこれから住宅やマンションになるところだ。

この写真の左方向にせせらぎ橋が作られた。

(長池公園自然館の「四谷見附橋再建工事誌」より借用)

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更にさかのぼると、こんな写真が出てきた。

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中央やや左上の小さな池が長池、中央下の池が築池、築池から長池につながる道が今の長池の道。

その右が今の中央園路になる。

この写真は、パルテノン多摩のアーカイブスから借用しました。

 

自分の住んでいるところが、以前はどんなところだったのかを調べるのは大変面白い。

次回はさらに時代をさかのぼってみます。

 

 

 

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